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おかみのフリーページ

2021-06-23 10:27:00

坂本都多子(おかみ)~誕生からの回想

嫁いで間もなく大黒醤油に入社。3代目となり、醸造についてはもちろんのこと、それまで介護の仕事しかしてこなかった私にとっては、事

務・税理などチンプンカンプン。すべてが手さぐりで、二人の息子も育てながら毎日奮闘。そして2度の災害。

今度はコロナという災害。。。これに遭遇して人生を振り返ってみることが多くなりました。

これまで、会社の取材などには、ほとん出ることなく参りましたが、日々のつぶやきや、写真などとともに、自身の人生の回想を第1話、2

 

話・・・という形で綴っていきたいと思います。

 

ツタコ 2.jpg

 坂本 都多子

 

第一話 誕生~小学生

 

1968年(昭和43年)28日、岩手県九戸郡軽米町の木炭業・農家の家庭に生まれる。

 

なんと4,300というナイスバディww(ちなみに現在より数年前、病院で骨密度が高すぎて測定不能。かなり頑丈である)

 

二人の兄と祖父母・父母と7人家族ですくすく育った。よだれが半端なく、眠ってばかりいたと母から聞いている。

 

写真の通り、はち切れんばかりのお顔ですね~(他人事ww)

 

IMG_7434.jpgIMG_7442.jpgIMG_7446.jpgIMG_7444.jpg

 

母親は、今考えると厳格だったと思う。

物心ついた時から、朝起きたらすぐに、外に出て髪をとくこと、家中に掃除機をかけることが私の仕事になっていたのだ。

台所の床の水拭きも毎日のようにやらされた。のちに語るが、これが、私の人格形成に大きく影響していったのである。

やらなければならないという責任感と縛り、潔癖症。

小学生高学年の時、仲間外れの様な感じを受けていたが、とにかく腕白で怖いもの知らず。ぜんぜん、そんなもの怖くなく、へっちゃら

だった。男子がなにかしようものならキックを入れる、自称 正義感あふれる女子。しかし、本当のところは、ただの短気な思い込みの

激しい(正義感は強かった)ワガママな子供だったと、今は思う。ある日、同級生女子が、なんとなくではなく、仲間外れにしているの

だと教えてくれた。そして、その理由は、私の傍若無人ぶりを自覚させるために相談してやっている同級生の愛のムチだとのことだっ

た。私には大いに自覚はあったw

教室の自分の椅子に誰かが座っただけで、ものすごく腹が立ち、手で椅子をはらっていた。こういうのは、実際のところ、神経質で自分 

も疲れるものである。そう、極度の神経質だったのだ。

「少しの間、無視されても怒らないで、我慢してて」そう友達に言われてから、間もなく、みんなの輪に戻ることができた。

その幼馴染の同級生全員に、ずっと感謝している。

当時は、色々と「ごめんなさい」そして「ありがとう」www

 

そうそう、私のワガママっぷりがよくわかる写真がある。

                 ツタコ 遠足.jpg

 

お分かりいただけるでしょうか((´))ケラケラ

 

私だけ、みんなと格好が明らかにちがーうww

 

母親が、今日は遠足で山に行くのだから、虫に刺されたりしないようスカートはやめろと何度言っても聞かなかったのだ。

 

この時の私の一番のお気に入りの黄色いフリルのブラウスと真っ赤なプリーツスカートを着て行ったのである。

 

ただの、あほう ですねww

 

そして、母親にそろそろ言われ始めたのが、

 

お前は、我が強い。怒るな、言うな、我慢しろ。我が強い、我が強い、、、、、、、、、

 

これもまた、大いに、人格形成に関わっていく。

 

今では大変うらやましい程のポジティブ思考と明るく活発であった。人の気持ちに気づかず、いつも幸せいっぱいだった(?)笑笑

 

でも、それは、小学時代まで。                         

 

~第二話へ続く~

 

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