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おかみのフリーページ
~坂本都多子(おかみ)~誕生からの回想 (18歳~施設職員時代)
高校卒業後、軽米町内の重度身体障碍者施設 太陽荘の寮母として5年間、お世話をさせていただきました。
夜勤明けの公休は、夏は海水浴・冬は安比高原でスキーに明け暮れた。今でも交流のある当時からの仲良しもいるほど、楽しい時代だった。
よく、入所者のおじいさんとも、マジで喧嘩したものだ。しまいに言われるのが、
あんだ~きっかねぇ~な~wwwwww でも、なぜか、また、寮母さん!とその方に呼ばれる(; ・`д・´)
なぜ、私を呼ぶ~!!!((´∀`))ケラケラ
ここでも、自由で元気いっぱいの当時の私がわかる写真がある。
なんによじ登ろうとしているのか。入所者の方に付き添っているのか、付き添ってもらっているのか?www上の写真は~確か、動物園に行った時の写真。われ先に見ようという職員www
当時は、時間内に仕事をこなすことで頭がいっぱいだった。介護される年齢に近くなってきた(?)最近よく思うのは、もっと写真の若い入所者の方たちも、お化粧やヘアスタイルやネイルなどしたかっただろうな~ということである。当時は、余裕がなかったし、気が付かなかったのだ。
多少、油絵も趣味である。これは、下写真の右端のひざ掛けをしている三上さんが、手に装具をつけて筆を挟み、油絵をされていて、時々、色を出してあげていたことが、きっかけだ。三上さんの絵は、独創的で細かなところも丁寧に描かれていて、綺麗だった。もともと絵をかくのが好きだったので、小さい時から着せ替え人形や、お絵かきをして留守番をしていた。これらが、今のネイルを始めたことに繋がっている。それは、のちほど。
施設の仕事は、仕事という感覚ではなく、一緒に日々を過ごしているという感覚だった。当時は、介護福祉士という資格は、まだなく、23歳で退職するあたりにできた資格だ。当時、勉強したくなくて、すすめられたが退職するし~ということで取得しなかった。毎日が、とても楽しく過ごせた施設職員の時代だった。